西田幾多郎

それは私がまだ金沢の四高に教師をしていた頃のことである。或日同僚のドイツ人ユンケル氏から晩餐に招かれた。金沢では外国人は多く公園から小立野へ入る入口の処に住んでいる。外国人といっても僅の数に過ぎないが。私はその頃ちょうど小立野の下に住んでいた。夕方招かれた時刻の少し前に、家を出て、坂を上り、ユンケル氏の宅へ行ったのである。然るにどうしたことか、ユンケル氏の宅から少し隔った、今は名を忘れたが、何でもエスで始まった名の女の宣教師の宅へ入ってしまった。その女宣教師も知った人であり、一、二度も私の家に来たこともある人ではあったのだ。ベルを押し、請ぜられて応接間に入り、暫く待っていた。無論応接間の様子などユンケル氏のそれと似もつかぬのであるが、それでも自分には少しも気がつかなかった、全くユンケル氏の応接間に入っているつもりでいた。その中エスさんが二階から降りて来られた。それでもまだ気付かない。エスさんも自分と同じくユンケル氏の所へ招れて来ているのだと思い込んでいた。それにしてもユンケル氏が出て来ないのを不思議に思い、エスさんに尋ねて見ると、自分は全く家を間違っていたのであった。